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アンネの日記 から明かされた「下ネタ」でアンネが伝えたかったこと

ナチス・ドイツから逃れようと隠れ家で生活していたユダヤ人少女による「アンネの日記」で、これまで公表されていなかった2ページ分の内容が15日、明らかにされた。当時13歳のアンネ・フランクさんは、セックスについて思ったことや、性的なジョークを書き綴っていた。

アンネさんはオランダ・アムステルダムの隠れ家で潜伏生活を始めて間もない1942年9月28日、性的ないわゆる「下ネタ」ジョークを4つ、書き記していた。

色々な内容を書いては線を引いて消していたページで、「駄目になったこのページを使って、『下ネタ・ジョーク』を書くことにする」とアンネさんは書いた。ジョークのほかに、性教育について数十行にわたり書き、自分が誰かにセックスについて説明する羽目になったら何と言うかを想像してみている。売春婦についても言及している。日記の別の箇所には、売春婦というものについて父親から教わったと書かれている。

アンネさんはこうした内容を書いたこのページに、茶色い紙を上からのりで貼り付けていた。内容を家族の目に触れないようにするためだったとみられる。

画像解析技術の発達によって、研究者はついに隠された文字が読めるようになり、今回の発表につながった。

アンネさんが家族と隠れていたアムステルダムの家は現在、「アンネ・フランクの家」として博物館になっている。同博物館はツイッターで、「アンネ・フランク・ハウスはホイヘンス研究所とオランダ戦争資料研究所と共同で、赤いチェック柄表紙の最初のアンネの日記から、のりで紙が貼られていた2ページに隠されていた内容を、本日明らかにしました。新技術のおかげで、伏せられていたページの文章が解読できるようになりました」と書いた。

 

博物館のロナルド・レオポルドさんは、「アンネ・フランクは性的なことについて、屈託なく書いている。思春期の子供らしく、性に関心があるのが分かる」と話す。

博物館と協力し、2016年に新しく撮影した写真から隠された内容を解析した先端社会研究所NIOD(オランダ戦争資料研究所)は、日記の写真と共に、「アンネ・フランクの日記から、新しい2ページが見つかった!」とツイートした。

 

NIODのフランク・ファン・フレー所長は、「見つかった文章を読む人は誰しも、にっこりしてしまうはずだ」と話した。「アンネが書きとめた『下ネタ』ジョークは、思春期の子供たちの間の定番だ。アンネは才能豊かな少女だったが、何より普通の女の子だったことが分かる」。

アンネさんが日記に書いたジョークのひとつは、「ドイツ軍の女の子たちが何のためにオランダにいるか分かる? 兵士のマットレスとして」というものだった。

博物館によると、アンネさんはほかでもセックスについて書いている。隠れ家で暮らす他の人たちが口にしたジョークに言及したり、自分自身の生理や性行動について書いたりしているという。

アンネさん本人が明らかに秘密にしておきたかった内容を公表することについて、博物館はアンネさんの日記に対する学術的な関心の高さを判断理由に挙げた。「アンネの日記」は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」に登録されている。

博物館はさらに、内容を公表しても「アンネのイメージは変わらない」と指摘。「アンネはホロコーストの象徴として、長年をかけて世界的に知られるようになった。その分、アンネという女の子の姿は、見えにくくなっていた。隠されていた文章の封印を(文字通り)解いたことで、好奇心旺盛で、色々な意味で早熟だった10代の少女が、あらためて前面に戻ってきた」と博物館は説明している。

アンネさんは1942年7月5日、父親の会社社屋の「後ろの家」で生活し始めた。13歳の誕生日に日記帳をもらった約1カ月後のことだった。

家族や、親しいファン・ペルス一家との共同生活は、1944年8月にナチスに発見されるまで続いた。2年も続いた潜伏生活が発覚してしまった正確な理由は、いまだに分かっていない。

アンネさんは1945年、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死した。家族で唯一生き残った父オットーさんが1947年、娘の日記を出版した。

アウシュヴィッツに祈りを、解放73年式典

2018年1月27日 アウシュヴィッツ強制収容所 解放73年式典が開かれました

アウシュビッツで追悼式典 生還者も出席

第2次世界大戦中、ナチス・ドイツによる大量虐殺が行われたアウシュビッツ強制収容所が解放されて73年となった27日、収容所の跡地で、生還者も出席して、追悼の式典が開かれました。

 

ポーランド南部にあるアウシュビッツ強制収容所では、第2次世界大戦中、ナチス・ドイツによって、ユダヤ人を中心に少なくとも110万人が、ガス室などで虐殺されました。

収容所が解放されてから73年となった27日、収容所の跡地では、およそ60人の生還者も出席して犠牲者の追悼式典が開かれました。
この中で、ポーランドのモラウィエツキ首相は、「ここでは恐ろしい犯罪が行われた。人種差別や反ユダヤ主義などがあってはならない」と訴えました。

また、式典に先立って、生還者たちは、収容所で「死の壁」と呼ばれる、囚人たちが銃によって処刑された場所を訪れ花を手向けて犠牲者を悼みました。

政治犯として1年半を過ごしたというポーランド人のアリナ・ドムブロフスカさんは、NHKの取材に対し、「あす生きていられるかわからない恐怖を感じながら、1日1日を過ごしていました」と、当時の過酷な日々を振り返っていました。

ドムブロフスカさんは、94歳の今も、ポーランドやドイツの学校で体験を語り継ぐ活動を続けているということで、「自分の体験を若い世代に伝えることが重要です。いつまでも覚えていてほしい」と話していました。

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安倍晋三首相「日本人として誇り」 リトアニアで杉原千畝記念館を視察

2018年1月14日午前、安部総理はリトアニアのカウナスを訪れ杉原千畝記念館を訪れました。

欧州歴訪中の安倍晋三首相は14日午前(日本時間14日午後)、リトアニアのカウナスを訪れ、先の大戦中にユダヤ人難民を救った「命の査証(ビザ)」で知られる外交官、杉原千畝(ちうね)氏の記念館を視察した。

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「命のビザ」にソ連の影 杉原千畝の活動を経済利益・軍事情報狙い“容認”か 露の歴史研究で判明

杉原千畝が発給したビザの新たな事実が発表されました。

第二次大戦中に多くのユダヤ人を救った“命のビザ”で知られる日本人外交官、杉原千畝(ちうね、1900~86年)が進めたリトアニアからの救出劇の成功の背景には、ソ連領を通過するユダヤ人から経済的利益や軍事情報を得ようというソ連側の狙いがあったことが、ロシアの歴史研究家らの共同研究で分かった。

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アンネの隠れ家、偶然発見か 別件捜査の可能性

「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク一家の隠れ家がナチスに見つかったのは、定説となっている密告のためではなく、偶然に行われた別件捜査がきっかけだった可能性も――。オランダの博物館「アンネ・フランクの家」が18日までにこんな新説を発表した。

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ローマ法王、アウシュビッツ跡に訪問 祈りに徹する

このほどローマ方法フランシスコはH28.7.29アウシュヴィッツ強制収容所跡を訪れ、犠牲者のために静かに祈りをささげました。その詳しい記事は以下のとうりです。(ネットニュースよりコピーしました。)

ローマ法王フランシスコは29日、ポーランド南部オシフィエンチム郊外にあるナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所跡を訪れ、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の犠牲者のために静かに祈りをささげた。

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