大迫辰雄

リトアニアの日本総領事館で、杉原千畝が発給したビザで救済されたユダヤ難民たちは、ウラジオストックから福井県の敦賀まで輸送したのが、ビューローの船だったのです。   ビューローとは、社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューローのことで、現在のJTBのことです。  

ユダヤ難民を輸送したのは、天草丸という元ロシアの客船で、1940年(昭和15年)の秋ごろから翌年の春ごろまでの約10カ月間、20数回にわたって往復しユダヤ難民たちを輸送しました。その時に中心的役割を担ったのが、大迫辰雄なのです。上にある写真は船上でユダヤ女性と並んで撮ったものです。女性のにこやかな表情がとても印象的です。

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ジャパン・ツーリスト・ヴューローとは
・1912年3月(明治45年)、イギリスやアメリカの人たちに日本の真の姿を知ってもらうことを目的に「外客誘致論」を展開したのが始まりです。
・1925年4月(大正14年)には、後のJTB時刻表となる「汽車時刻表」を創刊しました。
・1940年9月(昭和15年)~1941年5月(昭和16年)、ナチスの弾圧を逃れ多数の旧ソ連領に避難。そのとき在米ユダヤ協会よりアメリカ政府を通じてビューローに対して協力要請があったのです。そしてシベリア鉄道でウラジオストック到着後、ウラジオストックと敦賀間を10ヵ月にわたり、毎週一往復を運行し、約4,000人のユダヤ人の避難に尽力しました。
・1963年11月(昭和38年)株式会社日本交通公社設立
・1987年11月(昭和62年)JTBへ呼称変更

 

大迫辰雄の良くわかる動画↓

人道の港 敦賀港
敦賀港は1920年ポーランドの孤児、1940年にはユダヤ難民が上陸した港。そうした「人道の港」としての歴史や資料が観れる博物館があります。人道の港 敦賀ムゼウム
公式サイトはこちら→http://www.tmo-tsuruga.com/kk-museum/

もちろんここには、杉原千畝コーナーがあり当時の受け入れの様子や資料などが見学することができます。

 



 

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