杉原千畝 結婚

1932年(昭和7年)3月 ハルビンの日本総領事館として

ハルビンの日本総領事館につき、満州国政府の外交部に出向。

1933年(昭和8年) 持ち前のロシア通を発揮

満州国外交部では、政務局ロシア科長兼計画科長としてソ連の北満州鉄道譲渡交渉を担当。そこで、なんと鉄道及びふたい施設のしゅうとうな調査をソ連側に提示し、ソ連がわの当初要求額の6億2,500万円を1億4,000万円にまで値下げさせた。このことにより、杉原のゆうりな譲渡協定の締結はおおきな外交勝利になった。

 

1935年(昭和10年) 満州国外交部を退官

この年、満州国外交部依願退職後、外務省大臣官房人事課勤務となる。さらに菊池文雄の長女・幸子と結婚した。

13題

因みに、杉原千畝は1924年(大正13年)に白系ロシア人のクラウディア・セミューノヴナ・アポロノアと結婚していたが、この年に離婚をしている。

 

1937年(昭和12年)フィンランドの在ヘルシンキ日本公使館に赴任

因みに、この年12月13日に南京大虐殺事件が起きています。

 

1939年(昭和14年)8月29日リトアニアの在カウナス日本領事館代理になる

●日本人が一人もいないこのリトアニアでの杉原さんの最大の任務は、ドイツとソ連の間に挟まれている国ということで、ドイツとソ連の情勢を探ることと言われています。

●3日後の9月1日ドイツ軍がポーランドに侵攻、そしてイギリス・フランスが宣戦布告し9月3日第二次世界大戦が勃発しました。 

●9月17日ドイツと秘密協定を結んでいたソ連もポーランドに侵攻

●9月28日ポーランドはドイツとソ連によって分割されました。

ただここで、千畝の念願だった在モスクワ大使館に赴任する予定だったが、その願いはかなえられなかった。