杉原千畝 外交官

■1900年(明治33年)1月1日 誕生

杉原千畝(すぎはら ちうね)は、岐阜県加茂郡八百津町に1900年(明治33年)1月1日に生まれました。

因みにこの八百津町には杉原千畝記念館があります。

 

■1918年(大正7年)4月 父の思い

もともと父は、千畝に対し京城医学専門学校に進学して医者になることを強く望んでいた。しかし千畝は父の意に反し1981年(大正7年)4月に、早稲田大学高等師範部英語課に入学。

因みに早稲田大学高等師範部英語課は、現在の早稲田大学教育学部英語英文学科であり、H27度調べで偏差値65の学部です。

 

■1919年(大正8年)5月 きっかけ

千畝はある日、図書館で偶然地方紙の掲示に目がとまり、外務省留学生試験の存在をしる。そこで実際は、千畝のような大学在籍者や旧制高校修了者以外の合格は難しいものであったが、猛勉強のすえみごと難関を制して合格したのである。

 

■1919年(大正8年)10月 ロシア語を学ぶ

合格した千畝は、10月に日露協会学校に入学し、11月には早稲田大学を中退している。そこから外務省の官費留学生として中華民国のハルビンに派遣され、ロシア語を猛勉強する。

因みに官費留学は、若手官僚等を将来、国の役に立つ人材として育成するために行うものです。ただ留学終了後、辞めたり、転職したり、現地にそのまま居座ることなどの問題があり、国も一定期間を経ずに本人の責任によって退職した場合は留学費の返済を義務付けました。やはり国もしっかりしています。

 

■1920年(大正9年)12月から1922年(大正11年) 陸軍に入営

最終階級として、陸軍少尉となる。

因みに、陸軍少尉は会社でいうところの中間管理職みたいなもの。しかも戦場では、第一線にいることもあり戦死する人も多かったとか。小隊は約50人。

 

 

■1923年(大正12年)3月  日露協会学校特修科修了

この時、ロシア語の総合点100点に対して90点と非常に堪能だったそうです。

因みに、ロシア語は英語やフランス語に比べて難易度が高く少し難しいとか。

 

■1924年(大正13年)に外務省書記生として採用され、日露協会学校、ハルビン大使館二等通訳官などを経て、1932年(昭和7年)に満州国外交部事務官に転じた。

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