「命のビザ」にソ連の影 杉原千畝の活動を経済利益・軍事情報狙い“容認”か 露の歴史研究で判明

杉原千畝が発給したビザの新たな事実が発表されました。

第二次大戦中に多くのユダヤ人を救った“命のビザ”で知られる日本人外交官、杉原千畝(ちうね、1900~86年)が進めたリトアニアからの救出劇の成功の背景には、ソ連領を通過するユダヤ人から経済的利益や軍事情報を得ようというソ連側の狙いがあったことが、ロシアの歴史研究家らの共同研究で分かった。

杉原は第二次大戦中にリトアニアで日本領事館領事代理を務め、ナチス・ドイツに迫害された数千人のユダヤ人が米国などに渡れるよう、日本の通過ビザを発給した。当時、日本政府は避難先の入国許可を得ていない外国人に通過ビザを発給しない方針だったが、杉原はそれに反してビザを出し続けたとされる。

ただリトアニアから日本に向かうには、当時のソ連領を通過する必要があった。ソ連がなぜ大量の難民の通過を容認したかについては、十分な研究はされていなかった。

この問題をめぐり当時のソ連指導部間の書簡や回想録、公文書館の資料、国営旅行会社の活動実態などに基づき共同研究を進めたロシア・ホロコースト・センターのイリヤ・アルトマン共同代表(61)は、ソ連当局がユダヤ人の自国領内の通過を承認した理由として、「経済的利益」と「海外情報網の構築」という2つの狙いがあったことを指摘する。

第二次大戦の勃発後、外国からの観光客が途絶えたソ連にとり、ユダヤ人難民は貴重な外貨収入源とみなされた。ソ連は極東に逃れるユダヤ人をモスクワに送り、ボリショイ劇場での観劇や高級ホテルへの宿泊などをさせた後に、シベリア鉄道で極東ウラジオストクに移動させた。

難民1人の“旅行代金”は200ドル程度だったと推定されている。当時の200ドルは巨額で、多くの難民は親類や慈善機関の支援などを受け、ようやく支払ったといわれる。

またソ連は当時、海外情報を得るための諜報機関整備が不十分だった。そのためソ連は難民らに情報収集活動への協力を働きかけていたという。

杉原の軍事情報収集能力をソ連が高く評価していた実態も明らかになりつつある。アルトマン氏によれば、ソ連が特に強い関心を寄せたのは、同国によるリトアニア併合(40年8月)後、杉原が赴任した独ケーニヒスベルク(現在のロシア・カリーニングラード)での活動という。

杉原は41年5月、現地に日本領事館を開設。バルト海沿岸での独軍の移動の状況などから独ソ戦争開戦(41年6月)のタイミングをほぼ正確に推測し、モスクワの日本大使館、駐独日本大使、日本外務省に電報で伝えていたためだ。

当時ソ連は日本の暗号を解読する技術を有し、日本側の情報はソ連側に筒抜けだった。杉原が日本などに宛てた3通の電報をめぐっては「ソ連の情報機関だけでなく、政界指導部にもおそらく知れ渡っていた」という。

さらにソ連は、日本がモスクワから極東に鉄道輸送していた外交文書を撮影するために列車内に専用設備まで設けていたといい、ソ連当局が日本の情報を極めて重視していた実態が浮かび上がっている。

ロシア・ホロコースト・センターは10月、モスクワで杉原の活動を顕彰する国際フォーラムを開催した。