アウシュヴィッツの真実

アウシュヴィッツ関連の用語解説

ここではアウシュヴィッツに関連した用語の解説をしています。改めて用語を理解することによってより深くアウシュヴィッツの真実を理解できるようになります。代表的な用語を解説しましたので参考にしてください。

目次

■強制収容所と絶滅収容所

■ナチス党

■第三帝国

■ユダヤ人

■ダビデの星

■ゲットー

■強制連行

■人体実験

 

 

■強制収容所と絶滅収容所

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ナチスは、ユダヤ人やロマ(放浪者とも呼ばれる、参考Wikipedia)、シンティ(ロマと同根のロマニ系の集団、参考Wikipedia)たちをつぎつぎとつかまえ、強制収容所へ送り込んだ。その送り込まれた収容所のまわりにはドイツの大きな工場が建ちならび、囚人となったひとびとはそこで、ドイツの戦争のために、大変きびしい仕事をさせられた。もちろんどんなに働いてもお金はもらえなかったし、いつ出られるかも知らせられなかった。もちろん疲れて休んだりすれば、それだけで殺されることもあった。

 

■ナチス党

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国民社会主義ドイツ労働党というドイツ語の頭文字をとってナチス、またはナチと呼んだ。そして1919年ミュンヒェンで結成されたドイツ労働者党に入ったヒトラーは、強烈で熱狂的な演説でたちまち党のリーダーになりました。さらに翌年国民社会主義ドイツ労働者党と党の名前がかわると、すぐに党首に選ばれました。ナチスの考えは強いドイツをつくるというもの。そこでドイツで巻き起こった「ドイツ人は世界でもっともすぐれた人種である」といった「人種論」や、北欧の神話や伝説に語られた、「国民が乱れ、人々が苦しむとき、英雄があらわれる」という「英雄願望」がまざりあっていた。こうした中でドイツ以外の民族に向けた、強い差別の意識がカタチ作られていった。

 

■第三帝国

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ナチスは、ナチス・ドイツを、神聖ローマ帝国、ドイツ連邦という二つの帝国につづく、ドイツの歴史の中で3番目の帝国にあたると考えた。そこで自分たちの国を「第三帝国」と呼んだ。そこには「大きな戦いの後、第3番目の王国が世界を一つにまとめる」というような古い神話にもとづくものだった。さらに「世界を支配するために選ばれた特別な国」という意味も込められていた。

 

■ユダヤ人

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ユダヤ教を信じる人々であり、古代イスラエル王国のひとびとの子孫。ヨーロッパには2000年くらい前から暮らしている。神に対する考えがキリスト教徒とちがうため、ヨーロッパのキリスト教からはきらわれ、いやがらせを受けることが多かったとされています。

 

■ダビデの星

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ダビデは古代イスラエルの王で、星は王国の紋章です。ダビデの星はもともと、ドイツに暮らすユダヤ人たちが「差別に負けず、ユダヤ人であることをほこりにしよう」として自分の服の胸につけはじめたものだった。1939年以後、ナチスは支配する国々のすべてのユダヤ人に対し「ダビデの星」をつけることを命じた。そしてしたがわない人びとを処刑した。ユダヤ人としての誇りをあらわす「ダビデの星」は、ナチスの支配の中で、逆に民族差別と大量虐殺のシンボルへと変えられていった。

 

■ゲットー

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かつてのヨーロッパはユダヤ人をきらい、町のいちばんせまくて不便な場所に、まとめて閉じ込めることになった。こうした場所はゲットーとよばれ、300年くらい前までヨーロッパ各地にあった。ナチスはゲットーをよみがいらせ、ユダヤ人たちを閉じ込めたが、それはたがいのいやがらせではなく、ユダヤ人たちを絶滅するための作戦のひとつだった。ポーランドのワルシャワ・ゲットーのユダヤ人は食べ物や着るものまでうばわれ、毎日3,000にんくらいの死者を出した時もある。こうしたゲットーから多くのユダヤ人が絶滅収容所へと連れていかれた。

 

■強制連行

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ナチスは、大量のひとびとを一度につかまえて強制収容所へ送るために「強制移住玲」という命令を使った。雨風の強い日や真夜中に町や村をドイツ兵や警官隊が襲いこう告げる「おまえたちはこれから汽車にのって、東のほうへ移ることになった」と言い、20分以内に家を出て広場に集まるように命じた。そして時間をすぎても家から出てこない者は、その場で射殺された。また持ち出せる荷物は家族で25キログラム以内とされ、家に残された家具や洋服はそのまま壊されるか奪われた。さらに人々の混乱をさけるため、ニセの切符をわたされ強制連行されることもあるが、多くの場合銃でおどされながらトラックに詰め込まれ、駅からは家畜用貨車で強制収容所に運ばれていった。なにより命令にそむいたり逃げようとすればその場で射殺される。

 

■人体実験

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ナチスは収容所の囚人を実験台にして、さまざまな医学実験を行った。アウシュヴィッツでは子供を産めないようにしたり、肌や瞳の色を変える実験がくりかえされていた。これらは劣った民族を絶滅したり、優れたドイツ人を人工的につくるための実験で、名高い医師や博士たちが進んでかかわっていました。もちろん実験のほとんどはナチスのゆがんだ人種論にもとづくもので、およそ医学に値しないものであり、人道的にそむくものだった。とうぜん実験台にされた囚人はほとんどが死んだ。

 

アウシュヴィッツ チクロンB

チクロンBの開発  その1

ハーバー夫妻

1915年 クララ・ハーバーが自殺

クララ・ハーバーはドイツで初めて科学の博士号を取得した女性
夫は天才科学者フリッツ・ハーバー博士

フリッツ・ハーバー博士は

空気中から窒素を取り出す方法(窒素固定法)を確立しノーベル科学賞(1918年)を受賞した。その後博士の研究を応用して窒素肥料が開発され、飢餓に苦しむ世界中の人々が救われた。さらに戦争がはじまると博士は極秘の研究に取り組む。博士は所長を務めていたカイザー・ウィルヘルム研究、現在では世界最高峰の科学研究で知られるマックス・ブラウン研究所の前身である。

 

このときハーバー博士が取り組んでいる研究を知らされたアインシュタインは思わず叫んだ、「君は天才的な頭脳を、間違った目的に使っている」と。そのハーバー博士が取り組んでいたのは実は毒ガスの開発だったのです。

史上初めての化学兵器についてハーバー博士は自ら戦場に赴いて実験を指揮した。

1915年4月22日化学兵器が初めて戦争に使われた。7キロの全線にわたって168トンの塩素ガスが放たれ600人の兵士が犠牲になった。(ラーフェンシュタール村・ベルギー)

これにより兵士は恐怖でパニックになり、周辺の住民も巻き添えになった。そこで毒ガスから身を守るためにガスマスクが開発された。

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衝撃を受けた妻のクララ・ハーバーは夫に激しく抗議した。妻は「あなたは科学をねじ曲げています 研究をやめてください」と、だが夫は平然と言い放つ「毒ガスは戦争を早く終わらせ、ドイツ兵士を救うのだ!」と

だが実際は毒ガスによって戦争は長引き、被害は拡大した。さらに連合群もさらなる強力な毒ガスを開発し両軍合わせて66,000,000万発のガス弾がまかれ、死傷者が100万人に及んだ。

5月1日毒ガス戦の成功を祝いハーバー博士をたたえる祝賀会がハーバー博士の自宅でが開かれた。そして翌日の5月2日クララは夫の銃を取り出し自らの胸に銃を向けた。

1915年5月2日 クララ自殺

チクロンBの開発 その2

その後のハーバー博士

残されたハーバー博士にも悲劇が待っていた。

チクロンB、後にユダヤ人の大量殺戮のために使われた毒ガスであります。もとわといえばハーバー博士が開発にかかわった強力な殺虫剤だった。ただ博士自身もユダヤ人だった。

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自分の開発した毒ガスが同胞の絶滅のために使われるとは思いもしなかった。そして博士もナチスに迫害され、亡命を余儀なくされた。そして1934年亡命先のスイスにて死去。

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チクロンBの開発 その3

毒ガス戦争

ベトナム戦争では枯葉剤散布など博士が世に送り出した化学兵器は、その後の戦争においては無差別大量兵器の道具となった。そして今も計り知れない災いをもたらし続けている。

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チクロンBの開発 その4

感想

戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた。愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。

今回この記事を書くにあたり、真っ先にこの言葉が浮かんできました。

戦後70年を迎えた今、世界では中国やロシアが台頭して、イスラム過激派組織ISなどによるテロも頻繁に起こるようになりました。また日本でも安全保障制度をめぐる議論が活発になっています。ゆえに戦争のあり方は時代背景をはっきり映し出しています。

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