アウシュヴィッツ 第二収容所ビルケナウ 写真

アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウの見学写真の紹介です。施設内の様子を数多くご紹介しています。シンドラーのリストやその他ホロコースト関連の映画などでもよく出てくる、機関車が煙を吐きながら収容所へ入っていくシーンに出てくる茶色の門があるところです。当時のそのままの状態で残っていますので、ここを強制的に連れてこられたユダヤ人たちがすし詰め状態の貨車で運ばれてきたと思うと言葉がなく、何とも言えない思いがしました。門の天井には煙も残っていて当時の蒸気機関車が何度もここに来たことがはっきりとわかります。そして収容所内に伸びている線路は、映画などで見ているそのままの雰囲気がありました。まさにこの両脇に強制的につ入れてこられたユダヤ人たちが降ろされて、あるものはそのままガス室へ、そしてまたあるものは収容所内へと指示された光景が出てきます。そんな過去にあった出来事を認識しながら、この後ビルケナウの写真を解説していきます。ゆっくりとスクロールしながら、じっくりと解説付き写真をご覧ください。

アウシュヴィッツ 第二収容所ビルケナウ 写真

死の門

アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウの正門(死の門)。当時この建物では、人体実験や倉庫などとして使用していました。どれだけのユダヤ人たちがここに、強制的に連れてこられたかと思うと言葉が出ません。またその雰囲気が漂う何とも言えないたたずまいがあります

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 死の門上階からの風景

(ここからの写真4枚は知人がH27年3月に訪れた際に、撮ってきていただいた写真で紹介しています。この3月に知人が訪れた際には、この地域では大変珍しく快晴の天気でした。)


南側

収容所内に伸びる線路が全貌できます。まさに蒸気機関車が到着すると線路の両脇に降ろされて、ナチスの将校が指を右・左と振り分けてあるものはガス室に直行、あるものは収容所に押し込まれるシーンが思い起こされます。その意味でここがまさに死との分かれ目の場所だったわけです。

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西側

収容所全体が見渡せます。

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東側

東側の全貌が見渡せます。黒くなっているとこのにももともとは、施設があったところですが、今では木造の建物だったためすでに古くなりなくなっています。そしてその周りにあるのが有刺鉄線であり、当時はここに電流が流れていました。

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北側・ビルケナウへの入り口側

入り口側でですが、当時ここはアスファルトがなく線路が敷いてありました。

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 死の門全景

この敷地内までひかれた線路は当時のまま。まさに、貨車で連れてこられたユダヤ人たちは、この線路の両脇に下ろされてあるものは収容所へあるものはそのまま、ガス室へと誘導された場所です。真冬にはマイナス20度にもなる極寒の地でもあります。

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 ビルケナウ内全景

線路わきの状況です。ユダヤ人たちはここで降ろされて、振り分けられていました。

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 ガス室跡

ガス室の爆破跡。今建物は壊れていますが、これは降伏間際ソ連が来る前に証拠隠滅の為に爆破した後になります。第一収容所にあるガス室より大きく、より大量虐殺ができたといわれています。写真の左側から貨車から降ろされたユダヤ人たちが、写真の右手前から順番に階段を下りてシャワーを浴びるといわれて裸になり、すし詰めになりながらガス室へ入っていきました。

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 見学の様子

当時の写真を見ながら説明を受けている様子。写真は貨車で運ばれてきたユダヤ人たちがナチスの誘導で整列をさせられている様子。まさに、この後収容所に誘導されるかそのままガス室に誘導されるかの瀬戸際のシーンです。

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貨車

当時使われていた貨車が1台のこっています。もともとこの貨車は家畜などを運ぶ車両であります。そこに何日もかけてヨーロッパ中からこの貨車にのせられてきていました。当然ナチスはユダヤ人たちを人間とは思っておらず、虫けらとさえ思っていましたので将校の間では「荷が来た」と言っていました。またユダヤ人たちは何日この貨車の中にすし詰めにされてきていましたので、アウシュヴィッツにつくとあるものはそのまま死んでいたり気がくるっていた人もいたそうです。

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ガス室跡ガス室爆破跡

必死になって爆破させた様子がよくわかりました。当時は写真の奥側から階段で下に降りてそのままガス室があったそうです。ここがまさに大量虐殺の場所なのです。

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 収容所内

収容所内にあるベット代わりの棚。ここは本来2人用として使われるはずの別途なのですが、実際は4人もの人たちが詰め込められていたそうです。

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 収容所内

とても真冬のマイナス20度を耐えられる作りではありません。

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湿地帯

もともとポーランドのこの地域は湿地帯だったこともあり当時は膝まで水につかりながら強制労働をさせられていたそうです。今は治水等の整備がされている為、水はきが良くなっているそうです。ただ、当時のことを考えるとこのような土地柄でもガス室などを作ることができるドイツ人の技術の高さがわかるそうです。

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厨房

煙突が多くあるのは当時の厨房だった建物になります。やはり、囚人たちの間でもここで労働をさせられることが、食事もあり温かいため生きられる可能性が高かったそうで、希望者も多かったそうです。

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 木造の収容所跡

木造の収容所があった場所になります。今は木も腐り暖炉の煙突の後だけがのこっています。当時は決して寒さをしのぐ為に暖炉が入れられたわけではありません。寒さのあまり囚人の労働者が凍死して死んでしまうため、仕方なく暖炉が設置されたとのことです。最低気温マイナス20度程になるそうです。

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日本人ガイド中谷さんの説明の様子

中谷さんの説明を受ける私たち。

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 死の門

門を下から見上げた様子。まん中の筋が蒸気機関車の煙が通った後になります。

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貨車でアウシュヴィッツに運び込まれてきた時の様子の写真

生々しい様子がよくわかります。そしてこの小さな貨車にどれだけの人たちが乗せられていたかがよくわかります。以下3枚の写真は、決して映画やドラマで作られた写真の一コマではないのです。わずか70余年前の人間が人間を苦しめるために行っている実際の写真なのです。希望も夢も人権も何もすべてありません、ここにあるのはただ一つ「死」が待っているだけなのです。

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アウシュヴィッツに送りこまれてきた囚人たちの荷物

強制的に送り込まれて来ているにも関わらず、さらに荷物類も強制的に置いていくように言われたあと。それらをユダヤ人警察たちが片付けている様子。

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遺体の山を燃やしている写真

まさに衝撃的な写真です。遺体の処理に困った挙句、ついにその場で遺体を山にして燃やしているのです。。なぜこのような写真が残されているかというと、ドイツの敗戦が濃厚になった時ソ連が迫る中、ドイツの将校たちが置き忘れていた資料の中にあったのが、これらの写真になります。

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行かなくてはわからないことがたくさんありました。行ったからこそ理解できたこともたくさんありました。改めて行ってよかったと思いました。さらに興味がわいてきました。決して他人事や過去の歴史ではなく、現代でも形を変え姿を変えて、同じような迫害は今もあるものと思います。命・人間・社会などいろいろなことを考えさせられるきっかけができました。改めてこの時代の出来事をこのサイトを通じてさらに、深めていきたいと思います。