アウシュヴィッツ チクロンB

チクロンBの開発  その1

ハーバー夫妻

1915年 クララ・ハーバーが自殺

クララ・ハーバーはドイツで初めて科学の博士号を取得した女性
夫は天才科学者フリッツ・ハーバー博士

フリッツ・ハーバー博士は

空気中から窒素を取り出す方法(窒素固定法)を確立しノーベル科学賞(1918年)を受賞した。その後博士の研究を応用して窒素肥料が開発され、飢餓に苦しむ世界中の人々が救われた。さらに戦争がはじまると博士は極秘の研究に取り組む。博士は所長を務めていたカイザー・ウィルヘルム研究、現在では世界最高峰の科学研究で知られるマックス・ブラウン研究所の前身である。

 

このときハーバー博士が取り組んでいる研究を知らされたアインシュタインは思わず叫んだ、「君は天才的な頭脳を、間違った目的に使っている」と。そのハーバー博士が取り組んでいたのは実は毒ガスの開発だったのです。

史上初めての化学兵器についてハーバー博士は自ら戦場に赴いて実験を指揮した。

1915年4月22日化学兵器が初めて戦争に使われた。7キロの全線にわたって168トンの塩素ガスが放たれ600人の兵士が犠牲になった。(ラーフェンシュタール村・ベルギー)

これにより兵士は恐怖でパニックになり、周辺の住民も巻き添えになった。そこで毒ガスから身を守るためにガスマスクが開発された。

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衝撃を受けた妻のクララ・ハーバーは夫に激しく抗議した。妻は「あなたは科学をねじ曲げています 研究をやめてください」と、だが夫は平然と言い放つ「毒ガスは戦争を早く終わらせ、ドイツ兵士を救うのだ!」と

だが実際は毒ガスによって戦争は長引き、被害は拡大した。さらに連合群もさらなる強力な毒ガスを開発し両軍合わせて66,000,000万発のガス弾がまかれ、死傷者が100万人に及んだ。

5月1日毒ガス戦の成功を祝いハーバー博士をたたえる祝賀会がハーバー博士の自宅でが開かれた。そして翌日の5月2日クララは夫の銃を取り出し自らの胸に銃を向けた。

1915年5月2日 クララ自殺

チクロンBの開発 その2

その後のハーバー博士

残されたハーバー博士にも悲劇が待っていた。

チクロンB、後にユダヤ人の大量殺戮のために使われた毒ガスであります。もとわといえばハーバー博士が開発にかかわった強力な殺虫剤だった。ただ博士自身もユダヤ人だった。

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自分の開発した毒ガスが同胞の絶滅のために使われるとは思いもしなかった。そして博士もナチスに迫害され、亡命を余儀なくされた。そして1934年亡命先のスイスにて死去。

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チクロンBの開発 その3

毒ガス戦争

ベトナム戦争では枯葉剤散布など博士が世に送り出した化学兵器は、その後の戦争においては無差別大量兵器の道具となった。そして今も計り知れない災いをもたらし続けている。

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チクロンBの開発 その4

感想

戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた。愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。

今回この記事を書くにあたり、真っ先にこの言葉が浮かんできました。

戦後70年を迎えた今、世界では中国やロシアが台頭して、イスラム過激派組織ISなどによるテロも頻繁に起こるようになりました。また日本でも安全保障制度をめぐる議論が活発になっています。ゆえに戦争のあり方は時代背景をはっきり映し出しています。

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