アウシュヴィッツ=ビルケナウとは

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

ドイツが第二次世界大戦中に、国家をあげて進めた人種差別的な抑圧政策により、もっとも悲惨な惨劇が生まれたとする強制収容所のことです。(1940年~1945年)1979年に世界遺産リストに登録されている。また公式ではないが、日本では「負の遺産」とも言われている。アウシュヴィッツは地理的にヨーロッパの中心に位置し、鉄道の便が良いこと・炭坑や石炭の採れる産地が近いことやもともとは軍馬の調教施設でもあり広大な敷地でもあったため、収容所として適していたためここに設置されたとされています。

 

アウシュヴィッツ第一強制収容所

(1940年5月20日開所)

第一・第二を含めた中心施設となります。そして、アウシュヴィッツ強制収容所の入り口には有名な「ARBEIT MACHT FREI」働けば自由になるの文字がアーチになった門があるところです。アウシュビッツとは、この施設があるオシフィエンチム市の地名のことを、ドイツ語で言っています。ですので、地元ではオシフィエンチム博物館となります。
この施設は平均して15,000人前後が収容されており、多い時にはなんと20,000人もの人たちが収容されていました。主にはソ連捕虜、ドイツ犯罪者や同性愛者・障害者、ポーランド人の政治犯が収容されていました。

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アウシュヴィッツ第二強制収容所 

ビルケナウ(1941年10月)

アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウは、さらに囚人を増やすために増設されたとしています。総面積は東京ドーム約37個分で、1944年のピーク時には9万人が収容されていました。そして、入口にはテレビや雑誌などでも有名な敷地内に伸びる線路の上にかかる門型の大きな施設(死の門)があるところになります。この施設があるブジェジンカ村の地名をドイツ語で言うとビルケナウと言います。

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アウシュヴィッツ第三強制収容所 モノヴィッツ

1942年~1944年当時の大企業の施設が多くあり、合わせて安い労働力として囚人たちが収容されていました。しかし1945年1月の開放の時に、ソ連軍によって破壊されたため現在は残っていません。